名古屋のホテルからの眺め

名古屋のホテルの屋上からは、名古屋城が見える。私はこの景色が大好きで、いつも名古屋のホテルに泊まるときには、ビールとツマミを持って屋上へあがり、ひとりで景色を満喫していた。ところが、このホテルの隣に高層マンションが建ったため、マンションがじゃまになり、名古屋城が見えなくなってしまった。とても残念である。
私はホテルの予約を取るときには基本的にインターネットで予約をしています。またポイントサイトも結構利用しているので、ホテルの予約をポイントサイトを通して行うためポイントサイトのポイントもゲットしながら楽しんでいます。実は来月、会社の忘年会を泊りがけで行うのですがこういうときがポイントゲットの大チャンスなのです。大人数のホテルを予約するためポイントの大量ゲットが可能なのです。
 「春高バレー」として開催される「第64回全日本バレーボール高等学校選手権」(来年1月5?9日、東京体育館)に出場する男女計104校が出そろった。激戦を勝ち抜き、全国への切符を獲得した出場校の中には、3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の高校も。福島県の太平洋沿岸部に位置する相馬高校(男子)は津波被害に遭ったが、全国のバレー仲間の善意に支えられての本大会出場。宮城代表の名門、古川学園高校(女子)は日本一奪還に一丸になっている。今月4日には組み合わせ抽選会が行われる。

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 ≪福島・相馬≫

 ■心支えた「日本一」の目標

 「早くバレーがやりたい」「いつから練習ができるんですか」?。相馬高(福島県相馬市)に集まった部員が次々、吉田康宏監督に懇願してきた。震災から、約1カ月後のことだった。

 相馬市の沿岸部は津波にのまれた。死者は400人を超え、部員21人中、8世帯10人が自宅を失った。幸い学校がある地区は津波の被害はなかったが、体育館の窓ガラスが割れるなどの被害が出た。東京電力福島第1原発から30キロ以上離れているため、避難指示は出されなかったが、震災直後は、大半の生徒が避難所生活を送り、地域のボランティア活動に奔走。バレーどころではなかった。

 「部活より食事や衣類の確保、生きていくことを第一に考えなければいけなかった」と吉田監督。苦難の中にあってさえ、誰一人として退部することはなかった。創部65年の伝統校、相馬が掲げ続けた「春高で日本一」という大きな目標が部員の心を支えた。

 とはいえ、土台づくりの時期を棒に振った代償は大きかった。5月に入り、何とか部活動を再開できても体力と技術、精神的な衰えは一目瞭然。たった1時間の練習で息は切れ、ボールのコントロールさえ思い通りにならない部員たちに、指揮官は「ただの人に戻ったな」と苦笑するしかなかった。

 救ったのは、全国に散らばるライバル校だった。津波で練習着やシューズが不足していた当時、秋田の雄物川高、神奈川の橘高などから大量の物資が届いた。義援金も多方面から集まった。部の倉庫が善意と励ましであふれた。佐々木章仁主将(3年)は「バレーができることに感謝した。震災に負けていられない、必死に頑張らなければと思った」と振り返る。

 夏場は失ったスタミナとゲーム感覚を取り戻すため、大阪、静岡、新潟の強豪校を行脚。仲間の胸を借り、激しくボールを打ち合うことで、相馬の粘り強さが息を吹き返す。その後も真っ暗になるまで走り込みを重ね、短期間でチームを立て直した。

 自宅を失った10人は今でも仮設住宅から通学している。主力メンバーである浜名亮(3年)は、中学のバレー部に所属していた最愛の弟(享年13)を津波で亡くした。心の傷は深い。だが「体育館では部員同士で弱音を吐いたり、つらい顔を表に出すことは一度もなかった」と吉田監督。結束力の固さを肌で感じている。

 先月26日の福島大会では、通算17度目の全国出場を同県史上初の5連覇で飾った。過去、全国大会の最高はベスト8。今回のチームはこれを塗り替える力がある。浜名は噴き出す汗をぬぐってこう言った。「全国のみんなや、つらい時に支えてくれた部員たちと少しでも長い時間、プレーがしたい。最後まであきらめず、ボールをつなぎます」

 1カ月後に控える春高は、仲間に“恩返し”する舞台でもある。(青山綾里)

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 ≪宮城・古川学園≫

 ■雪辱より「被災地に勇気」

 数々の全国大会のタイトルをものにしてきた女子バレーの名門・古川学園高(宮城県大崎市)。7年連続32度目の出場になるが、「今度の春高は特別」と監督も選手も口をそろえる。今夏の高校総体で準優勝に終わった悔しさを晴らす意味もある。それ以上に「自分たちが活躍することで被災地の人たちを勇気づけたい」との思いがあるからだ。

 東日本大震災当日は韓国遠征から帰国した日に当たった。仙台空港からバスで学校に戻った直後に激震が来た。まもなく、仙台空港は津波にのまれた。「もう少しで選手の命が危なかった。津波だけでなく高速道路で地震に遭っていた可能性もある。震災以来、『自分たちは生かされた』という思いで練習に取り組んできました」。岡崎典生監督はそう振り返る。

 夏の高校総体は北東北総体として行われ、地元意識が強く、意気込みは例年以上だった。だが、決勝で、ライバルの東九州龍谷高(大分)に敗退。昨年の春高決勝でもこの宿敵に逆転負けし、雪辱に燃える古川学園の山田美花主将(3年)は「今度こそ」と力を込める。

 11月6日の宮城大会では、全国大会出場を決めたのに、胴上げはなかった。岡崎監督は「春高で優勝するまで胴上げはしません」と言い切る。大学生相手に練習試合を行うなど気合は十分。寒さが厳しくなる中、「春」を待つ日々だ。(安田幸弘)

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